後藤健生の「蹴球放浪記」第277回「サッカーとチェ・ゲバラとマラドーナ」の巻(1) 浦和サポーターも使用した「英雄的ゲリラ」、サッカーが「反体制的な存在」だった時代の画像
ゲバラ記念館の入場券。提供/後藤健生

 世界中のスタジアムで目にすることのある「英雄的ゲリラ」、革命家チェ・ゲバラの肖像。なぜ、サッカー場で「シンボル」として使われることになったのか? サッカーと革命の「つながり」について、ゲバラの母国アルゼンチン訪問時を踏まえ、蹴球放浪家・後藤健生が考察する。

■「神の子」と「英雄的ゲリラ」

 サッカーファンなら誰でも、アルゼンチン生まれの革命家チェ・ゲバラの肖像写真「英雄的ゲリラ」をご覧になったことがあるでしょう。星の付いたベレー帽をかぶった、あの精悍な表情のゲバラです。

 1960年3月にキューバのハバナ港で行われた、貨物船爆発事故による犠牲者の追悼集会に出席したゲバラ(当時はキューバ国立銀行総裁)を、写真家アルベルト・コルダが撮影した写真をもとにさまざまに加工された作品群が生まれ、それが世界各地で「革命」の機運が高まった1960年代後半以降「革命」のシンボルとして使用されました。

 そして、「英雄的ゲリラ」はサッカーのサポーターの間でも一種のシンボルとなり、世界中のスタジアムで目にするようになりました。日本でも浦和レッズのサポーターが「英雄的ゲリラ」を使用していたことで有名です。

 1928年にアルゼンチン・サンタフェ州ロサリオ(同国のサッカーどころの一つでリオネル・メッシの故郷でもある)で生まれたゲバラは、子どものときから重度の喘息だったため、4歳のときにはコルドバ州の州都コルドバ近郊のアルタ・グラシアに一家で引っ越して、ゲバラは高校時代までをここで過ごします。そして、ブエノスアイレス大学医学部に入って医師となるのですが、この間、友人とともにオートバイで南米大陸を放浪します。

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