■なぜサッカー場で「シンボル」になったのか
では、ゲバラの肖像はなぜサッカー場でシンボルとして使用されることになったのでしょうか?
サッカーのサポーターには貧しい労働者階級が多く、そのため民衆とともに戦ったゲバラに親近感を持ったというのも正しい説明でしょう。サッカーの過激なサポーターは、ライバルチームのサポーターとだけでなく、国家権力の末端にいる警官隊とも戦うのが常でした。
いや、さらに言えば、サッカーというスポーツ自体が多くの国で反体制的な存在だったのです。
これは遠い過去の話です。
今では、サッカーというスポーツは中東産油国の王族やら旧共産主義国の新興財閥「オリガルヒ」、あるいはアメリカの投資家たちの所有物になり下がり、FIFA会長も彼らのご機嫌をとるのに汲々としているありさまです。
しかし、20世紀初めに英国生まれの新しいスポーツであるサッカーを支援してクラブのオーナーとなったのは伝統的な体制派ではなく、各国で近代産業を起こしたリベラルでメトロポリタン的志向を持つ新興企業家たちでした。各国の体制派はフットボールという新しいスポーツに否定的でした。
ドイツでも、フランスでも、ロシアでも、それは同じです。
ゲバラの肖像は、そういう遠い昔の記憶も背負ってサポーター席でひるがえっているわけです。









