■FIFA会長に「ミドルネーム」献上
今世紀に入ると、彼は国際サッカー連盟(FIFA)会長のゼップ・ブラッターの施策への批判を繰り返した。「ブラッターは毎日50ものアイデアを思いつくが、そのうち51はクソだ」というフレーズをとても気に入り、後には「ゼップ・毎日50のアイデア51のクソ・ブラッター」と、「ミドルネーム」のように使うようになった。しかし『ブライアン・グランヴィルのワールドカップ・ストーリー』では、彼はそれを自分のオリジナルではなく、ドイツ人ジャーナリストの表現であるとしている。
サッカー報道にとどまらず、彼は小説を書き(31冊もの小説を出版している!)、劇を書き、ラジオ番組の脚本を書き自ら出演し、そして映画の脚本も書いた。オペラの台本を書いたことまである。当時まだ限りなく小さかった日本のサッカー界に多大な影響を与えた1966年ワールドカップ・イングランド大会の記録映画『ゴール!』は、彼が脚本を書いたものだった。
1960年代から1980年代にかけては、友人や知人を集めて「チェルシー・カジュアルズ」というサッカーチームの活動も継続した。そして自ら左サイドバックとしてプレーし、情け容赦のないタックルで知られていた。