■「悪かった」アヤックスの雰囲気
アヤックスは1963/64シーズンの指揮をイングランド人のジャック・ロウリーという監督に任せたがうまくいかず、1960年と61年にアヤックスをリーグとカップ優勝に導いたイングランド人のビクター(ビック)・バッキンガムを呼び戻して1955/56シーズンに入った。しかし成績はまったく上がらず、1956年1月、バッキンガムが解雇されて「OB」のミケルスが呼ばれたのである。
「アヤックスの雰囲気は悪かった。精神的にも、財政的にも、プロフェッショナリズムのかけらもなかった」と、彼は語っている(『サッカー・マガジン』1977年6月10日号、「リヌス・ミケルスのトータル・フットボール第4回」、リヌス・ミケルス、訳・牛木素吉郎)
この連載は、オランダ人のエディ・プールマンというフリーランスの記者を通じて『サッカー・マガジン』がミケルスと契約し、『サッカー・マガジン』のためのオリジナルとしてミケルスにインタビューし、書き下ろしてもらうという意欲的な企画だった。しかし、ミケルスがあまりに多忙で、第1回から第3回までの「ワールドカップの準備」のシリーズから数か月おいて、この第2シリーズの「アヤックスで起きたこと」が始まった。
以下、アヤックスでの初期のミケルスの仕事については、この第2シリーズの記事をもとにしている。しかし、このシリーズの3回(通算第6回)まで記事が送られてきた後、以後は「継続不能」となった。『サッカー・マガジン』が清水の舞台から飛び降りる気持ちで出したギャラも、FCバルセロナで2回目の指揮を執っていた当時のミケルスにとっては、「義務」を感じるほどでなかったのかもしれない。