大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第158回「天才トミスラフ・イビッチが語った監督力」(2)世界5か国を制覇「パスポートを見ない」賢人が残した金言「ベストの11人」の意味の画像
2019年から約1年半、FCポルトで活躍した浦和レッズの中島翔哉。かつて、このチームを率いて世界一になった名将がいた。撮影/原壮史(Sony α‐1使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、「東欧が生んだ智将」。

■その質問に吹き出して「大笑い」

 さて、私はポルトでの滞在4日目の朝食後に、イビッチとのインタビューの約束を取りつけた。イビッチの自宅は故郷のスプリトにあり、妻も2人の娘もスプリトにいた。彼自身は「単身赴任」で、FCポルトが試合前夜に宿泊するホテル「ポルト・シェラトン」の1室で暮らしていた。私自身も同じホテルに宿泊していたので、朝8時半からのインタビューだったが、エレベータで5階から8階に向かえばよかった。

 彼の部屋はごく普通の客室。「スイート」というわけではなかった。通訳なしのインタビューである。彼は電話でコーヒーのルームサービスを頼むと、ベッド脇の窓辺のソファを薦めてくれた。当時54歳のイビッチは小柄でにこやかで、とても気さくな人だった。

「まず、あなたのプロフィールを教えてください」

 その質問に、イビッチは吹き出し、愉快そうに大笑いした。

「この町で、私のプロフィールを聞いたのは、きみが初めてだよ」

 恥をさらすようだが、1987年当時の日本では、欧州のサッカー情報はそう多くはなかった。英国の『World Soccer』誌は定期購読していたが、イビッチの紹介記事や特集記事を読んだ記憶はなかった。そしてイビッチはチャンピオンズカップで優勝した後にFCポルトの監督になった人だったので、私には、ほとんど彼についての知識がなかったのである。欧州カップ優勝時の監督アルツル・ジョルジは、すでにラシン・パリに移籍していた。

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