■「ヘディング」「ゴールキーパー」が誕生

 この1867年、シェフィールドでは世界初のフットボール大会である「ユーディン・カップ」が開催され、さらに翌1868年には設立2年以内のクラブによる「クロムウェル・カップ」が行われて「ウェンズデイ」が優勝を飾る。

 シェフィールド・ルールの下では、ハンドリングが完全に禁止されたことで「ヘディング」が生まれ、また、ゴールを守るときにだけ手を使うことを許された「ゴールキーパー」が誕生した。

 さらに「ゴールキック」と「コーナーキック」が導入され、ゴールにクロスバーが設定された(FAルールでは、どんなに高くても2本のゴールポストの間を通過すれば得点となっていた)。どの方向に投げてもいいスローインの考案も、シェフィールドだった。

 ロンドンの「FA」とシェフィールドの「SFA」は何回もルール統一の会議を開き、交流試合も行われた。1870年には「SFA」傘下の16クラブが「FA」への加盟を認められ、翌年にはSFA自体がFAのメンバーとなり、交流試合が始まった。しかし「シェフィールド・ルール」でプレーすることもまだ許されていた。

 FAは1871年に「FAカップ」を創設。しかし、この大会は厳格にFAルールの下で行われていたため、SFAのクラブは参加を辞退、SFAは1876年に独自の「SFAカップ」を創設し、最初の決勝戦は8000人の観客を集めた。それは当時のFAカップ決勝の倍にのぼる数字だったという。

 しかし、ロンドンの新聞報道によってFAカップはどんどん人気大会となっていく。そしてシェフィールドのクラブも参加するようになる。FAカップの成功でロンドンのFAは完全に息を吹き返し、イングランド内で支配的な地位を築いていく。そして1877年には主にFA側の譲歩によってSFAとのルールの違いはほぼなくなる。ただ、オフサイドに関してはFAはSFAに完全には譲歩せず、1866年に改正した「3人制」を守った。(3)に続く。

(3)へ続く
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