■ビッグクラブ「多国籍化」の恩恵

 1974年の西ドイツ・ワールドカップで優勝した西ドイツでも、同じようなことが起こっている。

 キャプテンのフランツ・ベッケンバウアーや点取り屋のゲルト・ミュラーをはじめ、西ドイツ代表バイエルン・ミュンヘン中心のチームだった。先発11人のうちほぼ半数は、バイエルン勢だったのだ(決勝で対戦したヨハン・クライフオランダ代表は、アヤックスとフェイエノールトの連合チームだった)。

 当然、彼らには疲労が蓄積した。ワールドカップが終わった次の1974-75シーズンでは、バイエルンはブンデスリーガ4連覇に挑戦したが、なんと10位に終わっている。

 最近のワールドカップでは、こうした現象は見られない。

 それは、ヨーロッパの主要リーグで上位に入るビッグクラブはいずれも多国籍化しているからだ。

 アメリカ・ワールドカップの頃までは各国リーグには外国人選手の制限があり、各国の強豪クラブは自国の代表選手多数を擁して戦っていた。従って、ワールドカップで優勝した国の強豪クラブは、多かれ少なかれワールドカップで疲労を溜め込んだ選手たちを使って、次のシーズンを戦わなければならなくなったのだ。

 ご紹介したバイエルンやACミランは、その典型的な例だった。

 だが、1995年には例のボスマン評決があり、その後はビッグクラブの多国籍化が急速に進行する。それによって、代表選手が1つ、2つのクラブだけに限られるということが珍しくなった(もちろん、ドイツ代表におけるバイエルンやスペイン代表におけるレアル・マドリードバルセロナの割合は今でもかなり高いが……)。

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