■どこのホテルに泊まるかも「不明」

 さて、「その盧溝橋に行ってみよう」と思い立ったのは、1979年9月に中国に初めて行ったときのことでした。

 僕が大学生のときに所属していた慶應義塾大学のゼミの学生旅行で中国に行くというので、OBとして同行させてもらったのです。

 なにしろ、当時は日本人は中国に自由に渡航できる時代ではありませんでした。

 1972年に田中角栄首相が訪中して国交が回復され、1974年に日中航空協定が締結されて直行便が飛ぶようにはなっていましたが、中国側から渡航許可を得て、中国の国営旅行社に手配を依頼しなければビザはおりませんでした。そんな中国に渡航する滅多にない機会だと思っていたので、僕は約2週間の団体旅行に参加したのです(蹴球放浪記第94回「“塁”球放浪記」参照)。

 現地でどこのホテルに泊まるのかも、事前には教えてもらえませんでした。いや、上海に着いてから現地の国営旅行社の係員に尋ねても、次に向かう北京でどこのホテルが手配されているか分からないのです。

 昔の中国では、横のつながりがまったくありませんでした。

 たとえば、大連から瀋陽経由で長春まで行く列車に、途中の瀋陽駅から乗車しようとしても、瀋陽駅では大連での予約状況が分からないので、予約ができなかったのです。

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