■最初に「ウルトラス」と呼ばれた組織
サポーター集団に「ウルトラス」の名前が送られた最初は、イタリアだった。
ACトリノ(現在の名称はトリノFC)のサポーターたちが、1951年に「フェデリシミ・グラナータ(ザクロ色同盟)」などの組織をつくった。もちろん、「ザクロ色」とは、トリノのユニフォームカラーである。イタリアのサッカーでは初めてのサポーター組織だった。
サポーター組織は、次第にイタリアの各クラブに広がっていった。そして1960年代になって赤い煙を出す発煙筒など過激なパフォーマンスを見せるようになったACミランの「ライオンの巣穴」という名のサポーター組織が、「ウルトラス」と呼ばれるようになるのである。「かなり度を超している」といったニュアンスだったのだろう。やがて各クラブのサポーター組織は「ウルトラス」呼ばれるようになる。
イタリアには、「クルバ curva」という呼び名もある。以前は、イタリアのスタジアムの多くは陸上競技場型で、ゴール裏スタンドはカーブしていた。「ウルトラス」はそのカーブしたスタンドに陣取っていたので、カーブを意味するこの呼称が始まったのである。
ちなみに、「ウルトラス」や「クルバ」は、組織的なサポーター集団を意味している。イタリア語で一人ひとりのサポーター(ファン)は、「ティフォーゾ(複数形は『ティフォージ』)」である。この言葉は本来「チフス患者」を意味しているのだが、「サッカー」という熱病におかされた人というようなイメージなのだろうか。(2)に続く。