大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第155回【世界を変えた「日本のサポーター」とウルトラマン】(1)東京五輪後の「ウルトラQ」で大流行、はじまりは「ACミラン」のライオンの巣穴の画像
5位・岡山と6位・仙台の対決となった昨シーズンの昇格プレーオフ決勝。試合前から両チームのサポーターによる熱気が充満していた。撮影/原壮史(Sony α‐1使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、ゴール裏のアツ~い奴ら。

■日本の「体操関係者」たちだった⁉

 Jリーグは昨年の12月8日に2024シーズンが終了し、短いオフがあったものの、それもアッという間に終わった。各クラブはシーズンに備えたキャンプに入っている。しかし、試合はまだ1か月も先だ。「サポーター」たちは、そろそろ「シーズンオフ」に飽きてきた時期ではないだろうか。

 Jリーグのサポーターだけではない。日本代表のサポーターにとっては、「オフ」は昨年の11月から今年の3月まで、実に4か月間にもなる。昨年から好試合、好結果が続いているだけに、3月の試合を待ち切れない思いに違いない。

 日本代表のサポーターといえば、代表的なグループが「ウルトラス・ニッポン」。1992年に広島で開催されたアジアカップで日本代表の応援をリードし、日本のサッカースタジアムに「サポーター文化」を出現させた。そして30年以上たった今日も、日本代表戦でスタジアムの雰囲気を盛り上げている。

 そもそも、「ウルトラ」という言葉を、かつて私はロシア語だと思っていた。1964年の東京オリンピックのとき、ソ連の体操選手たちがものすごい技を出すと、NHKのアナウンサーが「ウルトラC!」と連呼していたからだ。しかし、もちろん、「ウルトラ」はロシア語などではなく、「ウルトラC」という表現をつくったのも、諸説はあるものの、日本の体操関係者たちだったらしい。

  1. 1
  2. 2
  3. 3