■韓国海軍と北朝鮮海軍が「西海」で…
2002年の6月29日の午後、僕は韓国中部の大邱(テグ)市の中心街にいました。
日韓ワールドカップの3位決定戦、韓国対トルコの試合の日でした。すると、街角の電気屋のテレビで臨時ニュースが流れていました。西海(黄海)で韓国海軍と北朝鮮海軍が交戦し、韓国軍側に死傷者が出たというニュースでした。
さあ、大変。これが大事件に発展したら3位決定戦どころではない。明日は横浜で決勝戦があるのだが、これもどうなるんだろう? いや、帰国便が欠航になって、日本に帰れなくなるかも……。
すべて杞憂でした。3位決定戦は予定通りに行われ、スタンドを埋めた大観衆が「デ(テ)ハンミングッ(大韓民国=韓国の正式名称)」と叫んでいました。何事もなかったかのようです。
このときの戦闘は「第2延坪(ヨンピョン)海戦」と呼ばれているもので、韓国側では6名が戦死しました。しかし、「ワールドカップ4強進出」で盛り上がる韓国国民は、この海戦を気にもかけなかったのです。
1960年代から40年近く軍事政権下にあり、戒厳令も武力弾圧も日常茶飯事だった韓国では、そうした政治的混乱や軍事衝突とうまく付き合いながら社会生活が営まれてきたのです。