■王国育ちの「U-12日本代表」エース
私が初めて伊東を知ったのは、1986年夏に日本で開催された少年サッカーの国際大会のときだった。その大会に向けて「U-12日本代表」が組織されたのが、そのチームのエースが伊東だった。当時、彼は「大型FW」だった。清水育ちらしいテクニックとスピードをもち、そのスピードに乗ったまま放つシュートは間違いなく「超小学生級」だった。
しかし、私はこの選手の将来性に小さからぬ不安を感じた。12歳にして(まだ12歳の誕生日は迎えていなかったが…)あまりに出来上がってしまっていたからだ。彼はすでに大人の体つきのように見えた。それを大きな武器にしていたのだが、同年代の選手たちも、やがて中学や高校で急激に身長が伸び、体が大きくなる。いずれ目立たなくなってしまうのではないかと心配したのだ。
だが、それは杞憂だった。彼は、ただ体格やスピードでプレーしていたわけではなく、ずばぬけたサッカーセンスとサッカー頭脳の持ち主でもあったからだ。サッカーというゲームを知り尽くした伊東は、まさに「サッカー王国」清水が輩出した最高クラスのサッカー選手だったのだ。
東海第一高校時代には全国大会出場には恵まれなかったが、国体の静岡県代表として大活躍、卒業後に清水エスパルスでプロとなった。1993年春のことである。当時のJリーグは、若手選手を中心にした「サテライトリーグ」を公式の大会として開催していたが、伊東も最初はその一員としてプレーした。年末には2試合でトップチームのベンチ入りを果たしたが、出場機会はなかった。