■Wエース小倉隆史、前園真聖とともに
Jリーグ・デビューは2年目、1994年の「サントリーシリーズ(第1ステージ)」第21節、6月11日に日本平で行われたG大阪戦(4-1の勝利)だった。3-0のリードで迎えた後半33分にゲームメーカーの澤登正明に代わって出場した。
だが、「ニコスシリーズ(第2ステージ)」に入る前に、監督がエメルソン・レオンからロベルト・リベリーノに代わると、伊東はコンスタントにベンチに入るようになり、9月には4試合連続先発出場を果たす。そして翌1995年、20歳の伊東は完全なレギュラーとなり、清水に欠くことのできない存在になるのである。
それとともに伊東が活躍を始めたのが、1996年アトランタ・オリンピック出場を目指す戦いだった。このチームには、小倉隆史(名古屋グランパス)、前園真聖(横浜フリューゲルス)という圧倒的なエースがいたが、すぐに伊東も欠くことのできない存在となっていく。
1996年3月のオリンピック予選では、全5試合にフル出場。生まれ持ってのポジションセンスでチームをまとめ、実に28年ぶりのオリンピック出場を日本にもたらした。