■「お父さんはお元気ですか」
「ルスタン・ジャリロフさんですか」
彼はうれしそうな顔をして笑った。あのとき13歳だと言っていたから、27歳になっているはずだ。ミロキルさんが話したとおり、ルスタン・ジャリロフさんは父の仕事を継いで市民共同墓地の管理人となり、毎日、日本人墓地を清掃し、守ってくれていたのだ。
「お父さんはお元気ですか」
「父は元気ですが、今日は別のところに行っています」
タシケントは「タシュケント」と表記されることもあるが、ウズベキスタン共和国の首都であり、この国の全人口3570万人の約6%に当たる220万人が暮らす大都市である。中央アジアのオアシス国家として古代から交易で栄え、中国では「石国」と呼ばれた。「タシケント」とは、トルコ系の言語で「石の街」を意味するという。
サッカーの取材は、ときに思いがけない人びととの出会いをもたらしてくれる。しかし、父がいわば「奴隷」のような目にあっていた中央アジアの街で、帰国の願いかなわず倒れた人びと、父の仲間たちの霊を、親子三代にもわたって慰め、守り続けてくれている人びとがいることを知ったのは、特別な経験だった。
最後にタシケントを訪れてから、もう13年も経ってしまった。ミロキルさんはご健在だろうか。ルスタンさんは40歳を過ぎたはずだ。ワールドカップ初出場の夢に沸く街の喧騒を離れ、今日も静かな墓地で黙々と働いているだろう。そして私がミロキルさんと会ったときのように、顔には深いしわが刻まれているに違いない。