大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第147回【悲願のワールドカップ初出場へ、石の街で「日本人墓地」を守り続ける人々】(3)14年後に首都再訪、抑留者を慰める「親子3代」のその後の画像
ミロキル・フォジルさん(左から2人目)は「2代目」の墓守。父ジャルキルさんとともに日本人墓地を守り、整備してきた。1997年10月撮影。(c)Y.Osumi

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、U-23アジアカップで日本と優勝を争った、成長著しいサッカー新興国と日本の知られざる「因縁」――。

■記者仲間と「試合後」に再訪

 タシケントには、2009年にも訪れる機会があった。だが、このときは滞在時間が短く、ワールドカップ予選の試合を取材しただけで終わった。だが、その2年後の2011年に訪れたときには、最初のときと同様、試合の翌日に時間があり、何人かの記者仲間を誘って日本人墓地を再訪することができた。
 この頃には、ガイドブック『地球の歩き方』にもタシケントの日本人墓地の案内が載っており、タクシーに乗って行き先の住所を見せるだけで簡単にいくことができた。14年前の記憶をもとに墓地内をずんずんと歩いていくと、やがて日本人墓地が以前と変わらない整然とした姿で現れた。真新しい花束もあり、日本から墓参にくる人が絶えないことを知った。
 帰ろうとしたとき、ひとりの作業員のような男性が歩いてきた。さっぱりとしたシャツにジーパン姿。頭には、ウズベク人特有の帽子をかぶっている。私は人の顔を覚えるのが非常に苦手なのだが、このときは、14年前に10分間ほど話しただけの人の顔がぱっと浮かんだ。
 「ミロキルさんだ!」
 だが近づいてくると、どうも私の脳裏にあるミロキル・ジャリロフさんと結びつかない。彼は毎日の炎天下の仕事のせいかしわだらけの顔をしていたのだが、目の前の男性は、とてもそんなに年には見えない。顔のつやから見て、せいぜい30歳代だろう。そして覚った。

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