■24時間働く「日本人サラリーマン」と世界各国で
当時の日本人にとって、「ドバイ」といえば「ハイジャックされた飛行機が降りた空港」という以上のものではなかったでしょう(1973年7月、日本赤軍のメンバーなどにハイジャックされた日航ジャンボ機がドバイに緊急着陸。日本中の人が「ドバイってどこ?」と思ってグーグルマップ……ではなく世界地図帳を開いた。ジャンボ機はその後、リビアに向かって着陸後に爆破された)。
しかし、世界中どこに行っても、世界第2の経済大国だった(!)日本人がいないわけはありません。日本にとってUAEやカタールは石油や天然ガスの供給源ですから、24時間働く日本人商社マンや技術者がたくさん滞在していたはずです。
しかし、現地でそうした石油関係者と出会った記憶はあまりありません。きっと、大企業に務める商社マンは高級ホテルとかに泊まっていたからでしょうし、技術者たちは現場にいたのでしょう。
とはいえ、どんな場所にいっても、日本人とまったく出会わないということはありませんでした。いろんな国で、いろんな日本人と出会い、「こんな所でも働いている日本人がいるんだなぁ」と感心したものです。
もっとも、あちらも「こんな所までサッカーの試合を見に来るとは、物好きな人……」と思ったに違いありませんが。