後藤健生の「蹴球放浪記」第212回「YOUは何しに辺境の地へ」の巻(1)砂漠とラクダの街「ドバイ」と水と笑顔の街「平壌」での画像
ミネラルウォーター輸入業者と出会った平壌では、W杯予選の北朝鮮戦を取材。提供/後藤健生

 日本は「極東」と言われる。ヨーロッパから見て、の話だ。蹴球放浪家・後藤健生の羅針盤はサッカー。ふつうならば行かないような国々にも、サッカーに導かれて足を伸ばしてきた。

■ワールドカップ1次予選で「30年前」にドバイへ

 サッカーを追いかけて放浪を続けていると、辺鄙な国に迷い込むことも多々あります。「辺鄙な」という表現が適当でないとすれば、「日本人があまり行かない国」と言い換えてもいいでしょう。

 たとえば、1993年にはアメリカ・ワールドカップ予選のために1次予選ではUAE(アラブ首長国連邦)のドバイとアル・アイン、最終予選ではカタールのドーハを訪れました。

 今では、ドバイもドーハも超高層ビル群が立ち並んでおり、ドバイのエミレーツ航空やカタール航空は世界をつなぐ航空会社になっています。しかし、1993年当時はどちらも小さな都市。日本からの直行便などはなく、たいてい東南アジアの航空会社を利用していました。中東諸国の航空会社で遠距離便を飛ばしているのは、バーレーン、アブダビ、オマーンが共同出資したガルフ航空くらいのものでした。

 今では「ドバイ観光」といったツアーも見かけますが、30年前には日本人でそんな中東諸国に行く人はほとんどいませんでした。行ったとしても、何も見るところもありませんでしたからね。珍しかったのは砂漠とラクダくらいのものでした。

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