引き分けはいつから「勝ち点1」になったのか?(3) 合理的な「金貨」山分けと3-1「逆効果」説、最大の理由は「バックパス」 大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第135回の画像
味方からのバックパスを手を使って処理することを禁じられたことにより、さらにGKは足元の技術を要求されるようになった(写真は鈴木彩艶)。撮影/原壮史(Sony α‐1)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は「引き分けは負け同然?」と感じさせる現代のサッカーのからくりについて。

■ホーム&アウェーの「リーグ戦」は大リーグから借用

 伝統的な「2-1方式」は、「リーグ戦」の誕生とともに生まれた。以前にも紹介したことがあるが、同等のクラスのチームが集まり、ホームとアウェーの両方で戦う「リーグ戦」という制度は、アメリカのベースボールから借用したもので、1888年にイングランドで最初の「サッカーのリーグ戦」が始まった。

 だが、アメリカのベースボールは連日試合をし、ホームとアウェーで同じ相手と何十試合も対戦する。そして順位は「勝率」で決める。それに対し、週に1試合が基本のサッカーでは、ホームとアウェーで1試合ずつ、12試合でスタートした「フットボールリーグ」では、1チームが1シーズンにプレーできるのは22試合に過ぎない。引き分けも少なくない。そこで各チームが8試合ほど消化した後に決まったのが、「勝利に2、引き分けに1」という「2-1方式」だったのである。

 これは、実に論理的な方式だった。

 イングランドのサッカーは1870年代の後半からすでにプロ選手の活躍が始まり、その流れを止められなくなったイングランドのサッカー協会(FA)は、1885年にはプロを公認した。「フットボールリーグ」は、最初からプロが活躍するリーグだった。

 そしてリーグができるまで、「対抗戦」の形式で2チームの話し合いで決められていた試合では、スポンサーが「賞金」を提供して、それを争うという形式の試合が多かった。金貨がザクザクと入った壺が提供され、勝ったチームがそれを獲得し、選手たちに分け与えるという形だったのだ。もちろん、負けたチームには何もない。そして試合が引き分けで終わると、両チームはそれを仲良く二分したのである。

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