■導入は「逆効果」も…日本では24シーズン目に採用
「2-1方式」はまさに「賞金の壺」そのものだった。勝者は2、敗者は0、そして引き分けなら両者に1を与え、その勝ち点の積み重ねで順位を決めるという方法は、誰にも納得のいくものだった。そして、この制度の下では、引き分けも立派な結果だった。壺いっぱいの金貨は逃しても、少なくとも空手で家路につくことはないのだから…。
この方式が1888年から1世紀以上続いたのは当然だった。そしてワールドカップを含め、世界のすべてのサッカーが「2-1方式」で覆われた。この制度は合理的で自然で、サッカーの「リーグ戦文化」とともに無条件に受けいれられた。
「3-1」制度は、サッカーそのものではなく、「観客を楽しませるエンターテインメント」、すなわちプロサッカーに限られる要請から生まれたものだった。その効果はどうだったのか。
導入の直前、1980/81シーズンの引き分けは118試合、全462試合で生まれた得点は1228(1試合平均2.66ゴール)だった。「3-1」が導入された1981/82シーズンは、引き分け121試合、総得点1173(2.54ゴール)だった(!)。何と「逆効果」だったのだ。
だが、イギリス人は一度、決めたことを簡単にやめたりしない。「2-1方式」下の最後の5シーズンの平均引き分け数は133.0回、それに対し、「3-1方式」したの最初の5シーズンは113.4回だった。1試合で生まれる得点数も、2.61から2.71へと増加した。フットボールリーグは「3-1方式」の効果を認め、方式を継続した。
1965年にスタートして「2-1方式」を守ってきた日本サッカーリーグ(JSL)も、24シーズン目の1988/89から「3-1方式」を採用、最終シーズンまで4シーズンにわたって続けた。もっともJSLでは、人気が低迷した1977年から1979年までの3シーズン、引き分けをなくしてPK戦を採用し、「90分間での勝利に4、PK勝ちに2、PK負けに1、90分間での負けに0」という「4-2-1方式」を採用していたから、イングランドですでに十数年を経過していて、すでに(マイナーなリーグばかりながら)6か国で導入されていた「3-1」にも違和感はなかった。