サッカーの世界において、日本と韓国はライバル関係にある。だが、Jリーグが始まる前、すでにプロ化していた韓国サッカー界は大きく日本をリードしていた。蹴球放浪家・後藤健生は、ピッチ外にも、彼我の大きな差を見せつけられていた。
■韓国サッカー界の重鎮
「蹴球会館」は細長いビルでしたから、各フロア毎に違う部署が入っていました。たしか、2階が弘報部(韓国語では「広報」ではなく「弘報」という)、技術部は3階だったでしょうか……。
もちろん、僕がいちばん出入りしたのは弘報部でした。また、当時の専務理事は金正男(キム・ジョンナム)氏でしたが、一度インタビューをして以来、懇意にさせてもらっていたので、ソウルを訪れるたびに金正男氏にも挨拶に行っていました。
金正男氏は、1967年にメキシコ・オリンピック予選で日本と韓国が3対3の死闘を繰り広げた時の選手で、1985年にメキシコ・ワールドカップ最終予選では韓国代表監督として日本を破りました。