後藤健生の「蹴球放浪記」第183回「懐かしの蹴球会館」の巻(2)オンボロ・ビルに秘められていた「日本が持ち得ていなかった発想」の画像
1990年のリーグ開幕戦 大会名は「Kリーグ」ではなく「韓国プロ蹴球大会」 提供/後藤健生

 サッカーの世界において、日本と韓国はライバル関係にある。だが、Jリーグが始まる前、すでにプロ化していた韓国サッカー界は大きく日本をリードしていた。蹴球放浪家・後藤健生は、ピッチ外にも、彼我の大きな差を見せつけられていた。

■韓国サッカー界の重鎮

「蹴球会館」は細長いビルでしたから、各フロア毎に違う部署が入っていました。たしか、2階が弘報部(韓国語では「広報」ではなく「弘報」という)、技術部は3階だったでしょうか……。

 もちろん、僕がいちばん出入りしたのは弘報部でした。また、当時の専務理事は金正男(キム・ジョンナム)氏でしたが、一度インタビューをして以来、懇意にさせてもらっていたので、ソウルを訪れるたびに金正男氏にも挨拶に行っていました。

 金正男氏は、1967年にメキシコ・オリンピック予選で日本と韓国が3対3の死闘を繰り広げた時の選手で、1985年にメキシコ・ワールドカップ最終予選では韓国代表監督として日本を破りました。

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