日本協会の広報から僕のところに「プログラム作りで必要なんですけど、何年のどの試合の記録をお持ちですか?」と電話がかかってきたことすらありました。
それなのに、大韓蹴球協会では昔の試合の記録がちゃんとコンピュータで管理されているのです。「これじゃ、韓国に勝てないのは当然イムニダ」と素直に感服せざるをえませんでした。
■時代は流れて…
さて、1990年代に入ってJリーグが発足し、日本代表の強化が始まると、日本サッカー協会の財政も一気に豊かになり、1994年には岸記念体育会館を出て渋谷のオフィスビルに移転。その後も、お茶の水のJFAハウスを経て、今年から協会は東京都文京区の小石川サッカー場そばにある「トヨタ東京ビル」のテナントとして入っています。
一方、韓国も1993年代に会長が現代(ヒョンデ)財閥の御曹司、鄭夢準(チョン・モンジュン)氏に代わり、同財閥の出資で協会は大規模化していきます(現在の会長は、鄭夢準の従兄弟に当たる鄭夢奎=チョン・モンギュ=氏)。
協会のオフィスも、在韓国日本大使館のそばの利馬(イマ)ビルに移転し、さらに2002年ワールドカップ前には世宗(セジョン)大路の西側の閑静な地区の慶熙宮(キョンヒグン)通りに6階建ての、文字通りの“自社ビル”を完成させました。
今はもう、大韓蹴球協会を尋ねても、顔見知りはすっかりいなくなってしまいましたがね……。