■名将たちに訪れた波

 いずれも20年間を超すJリーグ監督としてのキャリア。もちろん、ひとつのクラブで過ごせるわけではない。良いときもあれば、悪いときもある。「浪人」の期間もあった。チームは「ナマもの」であり、負の連鎖で思いがけない苦境に陥り、監督が解任に追い込まれることもある。多くの場合、監督が悪いわけではない。ただ監督は「責任」をとる立場にあり、チームの雰囲気を変え、選手に奮起をうながすには、「監督交代」が最も手軽な方法だからだ。

 2002年に清水を出てJ2のヴァンフォーレ甲府で監督としてのキャリアをスタートさせ、3年連続最下位だったチームを12クラブ中7位に引き上げた大木は、翌年はJ1の清水の監督となったが、1年で解任の憂き目にあった。そして2005年に甲府に戻ると、温めてきた攻撃的なサッカーの構築に着手、1年でこのクラブ初のJ1昇格に導いた。J1でも躍動したが、2年目に降格が決定、退任となった。

 病魔に倒れたイビチャ・オシムの後を継いで日本代表監督となった岡田武史に請われ、大木は2007年末に日本代表コーチとなる。そして2010年ワールドカップまで務めた後、2011年にはJ2京都サンガF.C.の監督に就任。しかし2012年、2013年と連続して「J1昇格プレーオフ」で敗れて退任。2016年にはJ2のFC岐阜監督に就任。エースの古橋亨梧が2018年シーズン半ばで神戸に引き抜かれたことで成績が落ち、2019年6月に解任された。

 しかし翌年にはJ3のロアッソ熊本と契約、2年目の2021年にはJ3で優勝を飾ってJ2昇格を決めた。そして今季、J2リーグでは苦戦しているものの、天皇杯では準決勝に進出。ここまで対戦したJ1の3クラブを相手に、どの試合でも守備的に戦うわけではなく、シュート数もサガン鳥栖に対して13-11、FC東京に対して13-15、そしてヴィッセル神戸に対しても12-16と、まったくひけをとっていない。プレーする選手も見ている観客も楽しい「大木サッカー」は健在だ。

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