■後押しした「男女平等」
アメリカでは、1970年代に北米サッカーリーグがペレ(ブラジル)など世界的なスターが集まって人気を博し、全米でサッカーブームが起きた。それは短期間では男子アメリカ代表の強化には結びつかなかったが、少年少女の間で「安全なスポーツ」として爆発的人気になったことに大きな意味があった。とくに、この国で最も人気のあるアメリカン・フットボールをすることができなかった女の子たちの心をつかんだことが、後の「女王」を生んだ。
少女たちの間でのサッカー人気を競技人口の多さに変えたのが、公的教育機関での性差別を禁じた1972年制定の法律だった。端的に言えば、男子のアメリカン・フットボール部に年間10万ドルをつぎ込んでいる大学があれば、女子のスポーツにも同額を支出しなければならなくなったのである。ハイスクールで女子に最も人気があるスポーツはサッカーであり、大学でも女子学生たちの要望で各大学に女子サッカー部がつくられ、専門の指導者がつき、独自のグラウンドをもって活動するようになった。レベルは急速に上がった。