後藤健生の「蹴球放浪記」第171回「匈奴の名家の末裔、熊本に現わる!」の巻(2)日本代表の前に2度立ちはだかった意外なチームの画像
2006年大会の前回にあたる、2004年のアジアユースのADカード 提供/後藤健生

 サッカーの奥深さに、人々は感慨を覚える。さらに蹴球放浪家・後藤健生は、時に歴史の奥深さと世界に広がる果てしないつながりを見つけ出すこともある。2005年に知った朝鮮半島の代表選手は、歴史のロマンを教えてくれた。

■「トッコ」との再会

 さて、大会が終わると、僕は「トッコ」という姓のことはすっかり忘れてしまいました。

 それから、しばらくして中国史の本を読んでいたら、そこに「トッコ」が現われたのです。それは唐の時代の話でした。

「中国」大陸は(当時は「中国」という言葉はありませんでしたが)始皇帝の秦王朝が初めて統一しましたが、400年以上にわたる漢の支配が終わると中国は分裂してしまいます。とくに、魏、呉、蜀の三国時代は日本でも有名です。その中国を隋が統一したのが西暦581年。618年には隋は滅びて唐の時代に移りますが、唐は907年まで300年近く中国を統治することになりました。

 その、隋と唐はいわゆる漢民族の王朝ではありません。諸説ありますが、北方の遊牧民族である鮮卑拓跋部による王朝だったのです。その鮮卑の有力氏族の一つが独孤氏。独孤信将軍は、唐の時代に「八柱国」と呼ばれる元勲の一人でした。

 つまり、あのU-18北朝鮮代表の右サイドバックはアジア大陸の名家の遠い末裔だったのです。

  1. 1
  2. 2
  3. 3