日本代表選手も経験したクラブの伝統

――昔と違い、今の子どもたちには褒めて伸ばす指導のほうがあっているのかもしれませんね。その他に、何かクラブとして行っていたことはありますか?

 我々のクラブでは、夏に小学1年生から6年生まで全員で3泊4日の合宿に行くのが伝統なんです。普段は学年別で活動していますが、その時だけは学年関係なしにグループを作って共同生活を送る。そこで、6年生の先輩が、後輩にごはんの食べ方や片付けといった生活面を指導します。もちろん、練習においても、試合を通じてチームプレーを指導します。年代を超えて、互いのリスペクトがないと成立しない取り組みなので、子どもたちの人間教育に大きな影響を与えていると思っています。合宿前に、必ず「個人ではなく、チームで生活する」ということを1年生にも説明して、団体行動を意識させていますね。

――先の日本代表選手4名も、こういった伝統を経験されてきたんですね。一つの町クラブから多数の日本代表選手が輩出されるのは珍しいと思います。何か秘訣はあるのでしょうか。

 他のクラブも同じなのかもしれないですが、あえて言うなら、親御さんが練習をサポートしたり審判をしたりと、深くクラブ運営に関わってくださっているのが大きいと思います。各ご家庭でも、連日の試合で疲れが残らないよう、日々の食事を工夫したりもしているそうです。そういったサポートがないと、サッカーを長く続けられません。プレーで上手くいかなかった時に「あなたなら絶対にできる!」と家族が褒めてくれたら、それを支えにまた頑張れますからね。親がいなくても子は育つと言いますが、「親のサポートがあれば、もっともっと子は育つ」んですよ。もし、サッカー経験がない親御さんなら、ルールを一から学んで、審判の資格を取ったりして、なにかしらサッカーに関わってもらいたい。すると、子どもは必ず成長した姿を見せて恩返ししてくれます。

第3回、「三笘薫、田中碧、権田修一の驚愕エピソード」に続く。

 

さわだ・ひでじ
1958年5月17日、大阪府生まれ。長男のさぎぬまSC加入により、サッカーに携わるようになる。以降、チームの監督を務めるなどし、2004年には代表に就任。のちに日本代表となる、三笘薫、田中碧、板倉滉、権田修一らを輩出した。現在は、川崎市サッカー協会4種役員や宮前区少年少女サッカー連盟委員長も務める。

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