ワールドカップ・カタール大会で次々と強豪国を破り、日本中を熱狂させたサッカー日本代表。実は、中心メンバーとして活躍した三笘薫、田中碧、板倉滉、権田修一はともに、神奈川県川崎市に根差す町クラブ『さぎぬまSC』の出身だという。
三笘の7万部ベストセラー著書『VVISION 夢を叶える逆算思考』にも、"世界のMITOMA"と評価されるようになった原点である『さぎぬまSC』時代の秘話や同クラブで培った「メソッド」など、数多くのヒントが記されている。
そんな日本代表輩出の秘密を探るべく、さぎぬまSC代表・澤田秀治氏にインタビューを敢行。4人の幼少期のエピソードとともに、その知られざる裏側に迫る!
珠玉の全4回インタビュー。
■入部希望者が急増
――クラブの代表になった経緯から教えてください。
『さぎぬまSC』では、入部した子たちの親が、その世代のチーム監督を務めるという決まりになっています。固定の指導者はいなくて、クラブOBの大学生など1~2名がコーチとして助けてくれる、そういった形で運営しているんです。僕は、息子が18期に入部した際、その世代の監督に就任して、その流れで、かれこれ20年クラブ代表を務めさせていただいています。
――三笘薫選手をはじめ、田中碧選手、板倉洸選手、権田修一選手という日本代表選手4名が在籍していたということもあり、入部希望者も増えたのでは?
幸いなことに、現在はたくさんの子が応募してくれます(笑)。多い時は、40~50名ほどの応募があり、中盤なら三笘選手や田中選手、DFなら板倉選手、GKなら権田選手に憧れている子ばかりです。
でも実は、今から10年ほど前は入部希望者が全然集まりませんでした。その時に、月1回の無料のキッズスクールを開催することにしました。それから徐々に人が集まるようになって、今ではなんとかクラブの人数を維持できています。ただ、サッカーグラウンドの使用環境もあり、人が集まっても練習ができないこともあるので、現在は25名を上限に募集をかけています。