後藤健生の「蹴球放浪記」第166回「記者席のことをプレス“ボックス”というのは何故?」の巻(2)イングランドで出会った「三菱ダイヤモンドサッカー」の世界の画像
1999年のマン・Cの記者入場券。「プレス/ラジオボックス」と書いてある 提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は、世界中のスタジアムをめぐってきた。欧州王者となったマンチェスター・シティのかつてのスタジアムにも足を運んだ。その「フットボール・グラウンド」でまたひとつ、サッカーの歴史と伝統を学ぶことになる。

■シティのホームスタジアム

 現在、マン・Cはシティ・オブ・マンチェスター・スタジアムを使っています(エティハド航空と命名権契約によって「エティハド・スタジアム」と呼ばれています)。

 マンチェスター市は2000年のオリンピック招致を計画。このスタジアムはメイン・スタジアムとなるはずでした。オリンピック招致は失敗しましたが、新スタジアムは2002年のコモンウェルス・ゲームス(英連邦競技大会)のメイン・スタジアムとして建設されました。

 完成時には陸上競技場だったのですが、英連邦大会終了後にサッカー専用に改装され、2003年8月からマン・Cのホームとなったのです。

 東京の国立競技場もオリンピック終了後にサッカー場に改装する計画がありましたが、費用が掛かりすぎるので改装は中止となりました。大会後の利用計画も考えずに設計し、完成してしまったスタジアムを改装するのは非常に難しいことです。

 シティ・オブ・マンチェスターの場合は設計段階からサッカー場への改装が決まっており、ゴール裏スタンドなどを完成させた後いったん埋め戻して陸上競技場を建設。大会後に再びピッチを掘り下げてサッカー場にしたのです。

  1. 1
  2. 2
  3. 3