Jリーグは今年、誕生から30周年を迎える。初めて誕生したサッカーのプロリーグは、さまざまな影響を日本とサッカー界に与えてきた。Jリーグの進化の証を、サッカージャーナリスト・後藤健生がつづる。
■とても長い「30年」
Jリーグの開幕から30年目を迎えた2023年5月。「30周年記念スペシャルマッチ」として東京・国立競技場で2試合が開催され、5月12日のFC東京対川崎フロンターレ戦、同14日の鹿島アントラーズ対名古屋グランパス戦(いずれもJ1リーグ第13節)にはそれぞれ5万6000人以上の観衆が詰めかけた。
30年前の開幕戦は1980年代からの黄金カードだったヴェルディ川崎(旧・読売サッカークラブ)対横浜マリノス(旧・日産自動車)という顔合わせだった。
もし、ヴェルディ(現・東京ヴェルディ)が今でもJ1リーグに所属してとすれば、当然30周年記念スペシャルマッチもヴェルディ対マリノス(現・横浜F・マリノス)の対戦になったのだろうが、東京ヴェルディは今ではJ2リーグに所属しており、2つの記念スペシャルマッチに挟まれた5月13日の土曜日にJ2リーグでFC町田ゼルビアと激しい戦いを行っていた。
一方、12日の記念スペシャルマッチを戦った両チームは1993年にはまだJリーグに加盟しておらず、それぞれ東京ガス、富士通として旧JFLで戦っていた。
「30年」というのは大変に長い時間なのである。
「オリジナル10」という呼び方が今も使われているが、Jリーグは1993年にわずか10のクラブでスタートを切った。
そして、その10クラブによるプロリーグですら、開幕前には「本当にプロ・サッカーが日本で成功するのだろうか?」と誰もが半信半疑だった。
その後、毎年のようにJFLから昇格してクラブ数は増えていったのだが、当初の“Jリーグブーム”が去ってクラブ経営に翳りが生じはじめた1990年代末頃には「クラブ数が多すぎる」「クラブ名が覚えきれない」などとさかんに揶揄されたものだ。日本のプロ野球(NPB)が長期にわたって12球団体制をとってきたことの影響でもあるのだろう。
とにかく、「30年後にクラブ数が60に達する」など、誰も想像できなかったことである。