後藤健生の「蹴球放浪記」第161回「鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)、夜銀の河を過(わた)る」の巻(2)対岸のウルグアイへと「タイムスリップ」の画像
ブエノスアイレスではアルゼンチン対ペルーを観戦。その際の記者証 提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生にとって、アルゼンチンは馴染みの深い国である。さまざまな思い出があるが、常に立ちはだかるのが「銀の河」。まるで湾のような川が、立ちはだかってきた。

■いざ、河を渡る

 さて、僕はこの「銀の河」を何度か渡ったことがあります。

 最初に“渡河作戦”を計画したのは、1978年にワールドカップ観戦のために初めてアルゼンチンを訪れた時のことです。

 2次リーグの初戦は6月14日。そして、2戦目は18日でした(当時のワールドカップには「試合が休みの日」がたくさんありました)。そこで、15日に「銀の河」を渡ってモンテビデオを観光して1泊で帰ってこようというわけです。

 そこで、翌日の船を予約しようと思って14日の試合前に「マリスカフォ」という船会社に行ってみました(当時はインターネット予約なんでありませんでしたからね)。すると、「明日は霧のようじゃけん、港が閉鎖されてもうて欠航ですねん」と言われたのです。

 その次の日(16日)なら船は出ると言われたのですが、もしモンテビデオまで行って、また霧に覆われてブエノスアイレスに帰れなくなったら、2次リーグの試合が見られなくなってしまうので、モンテビデオ行きは断念せざるを得ませんでした。

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