■1993年に思いが成就

 冬の南米大陸南部は気温が下がり、ラプラタ水系の大河に面した街はしょっちゅう霧に閉ざされるのです。

 そういえば、1930年に第1回ワールドカップで開催国のウルグアイとアルゼンチンが決勝に進出した時も、霧のために船の到着が遅れて試合に間に合わなかったアルゼンチン・サポーターが大勢いたと言われています。

 僕が本当に「銀の河」を渡ったのは、1993年のことでした。

 翌年のアメリカ・ワールドカップの南米予選を観戦に行ったのです。まず、パラグアイのアスンシオンでパラグアイ対アルゼンチンを観戦。その後、イグアスの滝を見物してからウルグアイに入り、ウルグアイ対ブラジルを見てから、汽船でブエノスアイレスに向かいました。

 移動手段は飛行機や高速船など、いろいろありましたが、僕はせっかくなのでクラシカルな汽船を選びました。夜行の船ならホテル代が1泊分浮きますからね。

「パラナ号」という船は本格的な汽船で、大部屋のキャビンから個室までさまざまなキャビンがありました。そして何よりも、明け方になって川面の向こうにブエノスアイレスのビル群が見えてきた光景は実に素晴らしいものでした。

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