■あきれた蛮行
車に戻り、セロファンの包装紙を破ってネクタイを取り出すと、私はすぐにそれを締めた。そしてセロファンは丁寧にたたんでバッグにしまった。
「オースミ、お前はあとでそれを使うのか」
ベルモンチ氏が聞いたのは、そのときだった。
「別に」
「それならよこせ」
バッグを開いてセロファンを渡すと、彼はひったくるように取り、両手でくしゃくしゃと丸め、次いで左手でドアウインドーのハンドルをくるくると回して、ポイっと道路に投げ捨てた。そしてこううそぶいたのである。
「これがブラジルさ」
私はあきれた。昭和50年代終わりの日本人としては、道路にゴミを投げ捨てるなんてもうひと昔もふた昔にも死に絶えた野蛮な行動だったからだ。
「ブラジルには、町を掃除を仕事にして生活している人がいる。日本人のようにみんなゴミをもって帰り、町がきれいになってしまったら、彼らは失業してしまうよ」
このやりとりだけで、私はベルモンチ氏に深く感謝した。文化の違い、社会意識の差なんて、いくら本を読んでもわからない。こんなやりとりがひとつあれば、あっという間に理解できてしまうのだ。
「何が『政治利用』か」だって? まあ、もう少し待ってほしい。