【鎌田次郎が語る「川崎―仙台」の裏側(1)】「本当にサッカーやってていいのか」と自問自答したJリーグ30年ベストマッチ…練習拠点は半壊、新幹線も不通で迎えた再開初戦の画像
今年3月12日に行われたベガルタ仙台ーいわきFCの試合に訪れた鎌田次郎氏と太田吉彰氏 撮影:中地拓也

 5月15日に発足30周年を迎えたJリーグ。30年前に東京・国立競技場で行われた開幕戦・ヴェルディ川崎(現東京V)対横浜マリノス(現F・マリノス)からの試合総数は約9000にのぼるが、ベストマッチに選出されたのが、2011年4月23日の川崎フロンターレベガルタ仙台戦だった。

 ご存じの通り、この一戦は同年3月11日に発生した東日本大震災によるリーグ中断後の再開初戦だった。被災地・仙台は甚大な被害を受け、まだ東北新幹線も全線運行再開していない時期だった。

 大きなダメージを受けたのはクラブも同じ。本拠地・ユアテックスタジアム仙台は観客席が一部崩壊し、練習拠点の泉総合運動場内にあるクラブハウスも半壊。約2週間活動休止に追い込まれた。3月28日に再集合した際、手倉森誠監督や選手たちの最初の仕事が石巻の避難所の手伝いだったというから、いかに凄まじい状況だったか分かるだろう。

 仙台ではトレーニングができないため、彼らは4月3日から千葉・市原でキャンプをスタートするも、絶対的エースになるはずのFWマルキーニョスが退団。新加入の柳沢敦(現鹿島ユース監督)も負傷離脱してしまった。

「当時のことを全て鮮明に記憶しているわけではないですけど、震災のことが頭から離れなくて、『本当にサッカーやってていいのか』と自問自答していたことをよく覚えています」と主軸DFの鎌田次郎(現品川CCコーチ)はしみじみと述懐する。

 当日の等々力競技場はあいにくの雨。気温も17.5度と肌寒かった。が、現場に駆けつけた1万5000人超の観衆、特にベガルタサポーターの熱気は凄まじいものがあった。
「いつもの試合とは違う雰囲気なんだろうなと思ってはいましたけど、スタジアムに着いた時、過去に経験したことのない異様なムードを感じたのは確かです。

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