■「何かを脱ぐ」しかない
このようなシーンで、あるいはフォルランのようなケースでで、シャツを脱ぎたくなる気持ちは、私には少しわかる気がする。
30代の半ば、私は東京都社会人リーグのクラブでプレーする選手だった(もちろん、ウイークデーはエディター/ジャーナリストとして働いていた)。だがこの年2部に上がったチームのなかで、ほとんど試合には出場できなかった。チームで最も下手だったのだから当然なのだが、3部リーグ時代には温情でちょくちょく試合に出してもらい、得点もしていたのである。
ようやく2部リーグの試合に出してもらえたのは、最終戦の終盤だった。おそらく点差がついていたのだろう。監督が「出ろ」と言ってくれたのだ。残り時間は少なかったのだが、チャンスはすぐにきた。ペナルティーエリアの中央、GKを背にして立っているところに、味方の低いシュートがきたのだ。オフサイドはない。とっさに私は右足を前に出し、インサイドを傾けてその面にボールを当てた。狙いどおり、ボールは私の体の右後方に飛び、ゴールを破った。実はこれは私の数少ない得意技のひとつだった。
その得点に狂喜した私がユニホームを脱いだわけではない。しかし私がやったのは、いま考えればそれに似たことだったように思う。冬だったから両手に手袋をしていた。その手袋を脱ぎ、右手にもって強くグラウンドにたたきつけたのだ。手袋が半ばどろんこのグラウンドにビチャっと埋まったのを、よく覚えている。
あの状況でなぜ手袋を取ったのだろうか。おそらく体がカッと熱くなったのに違いない。それに対する反応は、「何かを脱ぐ」しかないのである。