■世界準優勝チームも苦杯
初期の大会には「20歳以下」という大会レギュレーションにもかかわらず、日本は国内の事情から高校選抜チームを派遣していた。そんな歴史的な事情はあるが、それにしてもJリーグが発足して以来、各年代の代表が世界大会に挑戦を続け、フル代表チームがワールドカップに連続出場する時代になってからもずっと日本はU-20の大会で優勝できていないのだ。
1999年には小野伸二や稲本潤一、高原直泰らを擁するU-20日本代表(フィリップ・トルシエ監督)がワールドユース選手権ナイジェリア大会で準優勝するという快挙を成し遂げたことがあるが、この時もアジアの大会(1998年、チェンマイ=タイ開催)ではグループリーグと決勝で韓国と2度対戦して2度とも1対2で敗れている。
いずれにしても、アジアユース大会は初期の頃から日本のサッカー界にとって非常に重要な位置づけの大会だった。
なにしろ、1960年代、70年代には日本の選手が国際試合を経験する場が代表チームにはほとんどなかったのだ。そんな時代に、高校選抜やU-20代表の若い選手たちが、アジア各国の若手との真剣勝負を経験できたのだから、この大会は非常に重要だった(当時の日本にとって、韓国はもちろん、東南アジアのチームも格上的な存在だった)。
そして、各年代の日本代表チームがさまざまな国際大会に出場するような時代になっても、U-20アジアカップの重要性は変わらない。
なぜなら、あらゆるカテゴリーの日本代表がヨーロッパや南米の強豪国の代表と真剣勝負をするには、FIFA主催のワールドカップに出場する以外にないからだ。