■不評だったクラブW杯

 大会はインファンティーノの前任のジョゼフ・ブラッター会長時代の2000年にブラジルで8クラブが参加して第1回大会が開催されたものの、運営の悪さに欧州代表チームの取り組み方の悪さが重なってひどく不評で、2001年にスペインで開催されるはずだった第2回大会は資金不足で中止になり、以後しばらく中断された。そして1980年から開催されてきた欧州と南米のチャンピオンの対戦による1戦制の「トヨタカップ」を発展解消する形で2005年に日本で「FCWC」が開催されることになる。

 だが以後18回、日本で8回、UAEで5回、モロッコで3回、そしてカタールで2回開催された大会も、関心を集められるのは地元クラブの出場試合のほかには、世界的なスター選手を擁する欧州のクラブの試合だけ。大会収益も伸びず、UEFAとの差を縮める役には立たなかった。「欧州のクラブを多数出場させ、ワールドカップに匹敵する人気大会にして収益の新しい柱にしたい」とインファンティーノが考えるのは、「カネ儲け」を基準にすれば当然のことだった。

(3)へ続く
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