■霧の都での国際試合

 ロンドンは「霧の都」である。この試合から8年後の1945年11月には、有名なディナモ・モスクワ(当時ソ連)の英国ツアーでもうひとつ有名な「霧のゲーム」があった。日本の降伏で第二次世界大戦が完全に終結してから数か月後、ソ連は英国や米国など西側諸国との関係がまだ悪くなっていない時期だった。第二次世界大戦前には国際的に完全に孤立していたソ連のサッカーが、チームを初めて西側に送り出したのがこのツアーだった。

 まずロンドンでチェルシーと対戦し、続いてウェールズのカーディフでカーディフ・シティと、ロンドンに戻ってアーセナルと、そしてスコットランドのグラスゴーではレンジャーズと対戦する計画は、英国の国民に熱狂をもって支持された。ミステリアスなソ連チームというだけではない。英国ではまだプロリーグが再開されておらず、国民はサッカーの試合に飢えていたのだ。

 チェルシー戦は8万5000人の大観衆で埋まり、3-3の引き分けに終わった。試合の収益はドイツ軍の攻撃で壊滅的な被害を受けたソ連のスターリングラード(現ボルゴグラード)の復興支援に寄付された。初めて見るソ連のサッカーはスピーディーで非常にレベルが高く、英国のファンを喜ばせた。このディナモを相手に、翌年再開されるイングランド・リーグでは「3部南」となるカーディフはまったく歯が立たず、1-10という大敗を喫した。そしてやってきたのが、アーセナルとの第3戦だった。

(3)へ続く
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