■歴史的な東西の邂逅

 西ベルリンは1泊だけでした。11日にはオリンピアシュタディオンも見物しました。このスタジアムでは、西ドイツの開幕戦が行われることになっていました。

 東ドイツはワールドカップの「西ベルリン開催」に反対していました。西ベルリンが西ドイツの一部であることを認めていなかったからです。「西ベルリンは今でも西側3か国による占領地だ」というのです。一方、西側としては「西ベルリンが西ドイツの一部である」ということを主張するために、どうしても西ベルリンで大会を開催したかったのです。

 東ドイツは陸上競技などで数多くの金メダルを獲得するスポーツ大国でした(後に国家ぐるみのドーピングが発覚します)。しかし、サッカーはあまり強くなくて、ヨーロッパ予選を突破してワールドカップに出場したのはたったの1回だけでした。それがなんと西ドイツ大会だったのです。

 組分け抽選の結果、東ドイツはなんと西ドイツと同じ第1組に入り、皮肉なことに開催を反対していた西ベルリンでチリと対戦することになってしまったのです(さらに皮肉なことに、東ドイツはグループリーグで西ドイツに勝利してしまうのです)。

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