後藤健生の「蹴球放浪記」第148回「冷戦下の東ドイツを横断する」の巻(2)ベルリンの壁を越える方法は「まさかの地下鉄での乗り換え」の画像
ワールドカップ 西ドイツ対東ドイツ戦の入場券 提供/後藤健生

 時代は変わった。かつての冷戦は雪解けしたが、ソビエト連邦からロシアとなった国は、再び対立の構図を自らつくり出している。今よりも国境を越えるのが難しかった1974年、蹴球放浪家・後藤健生はワールドカップ観戦のため、共産圏をまたにかける冒険に出かけた。

■どこから壁を越えるべきか

 列車は翌10日の朝にベルリン東部「リヒテンベルク」駅に到着。とりあえず、電車(Sバーン)に乗って都心の「フリードリヒ・シュトラーセ」に向かいました。有名なテレビ塔が立っているアレクザンダー広場などを見物してからいよいよ西ベルリンに入ります。

 さて、どこから壁を越えるべきか……。僕は「チェックポイント・チャーリー」という検問所に行ってみました。検問所は何か所もあったのですが、ここは都心にあるので最も有名な場所で、当時のスパイ映画などによく登場していたからです。

 しかし、検問所でパスポートとビザを見せると、「このビザでは徒歩では壁を越えられない。フリードリヒ・シュトラーセ駅から地下鉄(Uバーン)に乗れ」と言われました。

 東京でもそうですが、地下鉄の路線というのは曲がりくねっています。そして、地下鉄というのは壁ができるよりもずっと前からあったので、西側の地下鉄も東ベルリンの地下を縦横に走っているのです。もちろん、東側の駅には停まらないで通過するのですが、「フリードリヒ・シュトラーセ」駅だけは西側の地下鉄も停車するので、それに乗って西ベルリンに入るのです。

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