■社会主義者と米国務長官
さて、スタジアム観光を終えて、僕は「ツォーロジッシャーガルテン(動物園)」駅からフランクフルト行きに乗りました。列車は東ドイツ領内をノンストップで通過して、西ドイツ領内に入るのです。
同じコンパートメントにはイタリア人の出稼ぎ労働者などともに東ドイツ人も数人乗っていました。対立していた東西ドイツですが、当時から西ドイツに旅行したり、移住したりする東ドイツ人もいたのです。
ちなみに、ハンブルクで行われた東西ドイツの試合には100人ほどの東ドイツ応援団がいて、僕が座った席のすぐ前で東ドイツの国旗(西ドイツと同じ「黒赤黄」の三色旗ですが、東ドイツの紋章が描かれている)を振って応援していました。逃亡の恐れのない、社会主義統一党(共産党)の“思想堅固な”党員たちだったと言われています。
ちなみに、1974年当時、アメリカとソ連は「デタント(緊張緩和)」に舵を切っていました。そして、1974年の7月にはアメリカのヘンリー・キッシンジャー国務長官が交渉のためにモスクワを訪問しました。そのソ連訪問の帰途、キッシンジャー長官はミュンヘンに立ち寄ってワールドカップの決勝を観戦しました。有名な国際政治学者でもあるキッシンジャー長官は西ドイツ生まれで、とてもサッカーが好きだったのです。