■日本とのつながり

 ペレの名は、日本でも、サッカーファンの間では1960年代からよく知られていた。1958年ワールドカップ・スウェーデン大会に17歳でブラジルの初優勝に貢献し、4年後のチリ大会でも連覇に貢献、1966年のイングランド大会では負傷でグループリーグ敗退の憂き目を味わったが、29歳で出場した1970年メキシコ大会では見事な攻撃サッカーの中心となり、6戦全勝という完璧な勝ち方でブラジルを3回目の優勝に導いた。

 そのメキシコ大会が「東京12チャンネル」(現在のテレビ東京)の「ダイヤモンドサッカー」を通じて詳細に紹介され、ブラジル、ペレ、そしてその「ビューティフル・ゲーム」は日本中のサッカー関係者を夢中にさせた。全国の少年サッカーの指導者たちがペレのような選手を育てたいとブラジルのテクニックを研究。ユニホームまで黄色・水色・白に変えるチームが続出した。そのときのペレとブラジルへの熱狂が、今日の日本サッカーのボール技術に結びついている。

 ペレはその後何回もきて少年少女に指導したり、また1975年から3シーズン在籍したアメリカのニューヨーク・コスモスの一員として「現役引退世界ツアー」の1試合を日本で行うなど、日本のサッカーの発展に大きな役割を果たした。

(2)へ続く
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