大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第104回「ペレに関する10のことがら」(後編1)1972年の日本に巻き起こした熱狂の画像
ペレはいつまでも人々の心の中に生き続ける 写真:ロイター/アフロ
 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト・大住良之による「超マニアックコラム」。「サッカーの王様」を10個のエピソードで探っていく。

 

 昨年末に82歳で生涯を閉じた「サッカーの王様」ペレ(ブラジル)。前回は、「PELE」というニックネームの由来、デビュー、生い立ち、空前絶後の1000ゴール達成、そして日本との不思議なつながりの話を書いた。今回は、日本のサッカーに与えた影響、「サッカー王国」ブラジルの誕生、そして何よりも「背番号10」の話を書こう。

 

■その6 日本に与えた衝撃

 

 1972年5月26日、ペレは所属するブラジルのサントスFCとともに東京の国立競技場で日本代表と対戦し、3―0の勝利で2ゴールを記録した。来日から離日まで約60時間。その間の熱狂は、現在では想像もつかないものだった。

 アメリカのロサンゼルス発の便が東京の羽田空港に着くのは5月24日15時45分の予定だった。しかし機材のトラブルで大幅に遅れ、到着は深夜0時となった。そして午前1時、ようやくペレが到着ロビーに姿を表す。ブラジルから40時間を超す長旅の疲れもみせず、ペレはいつもの笑顔を見せたが、そこに午後から10時間以上待っていた数百人のファンが殺到した。最初は差し出された紙にサインしていたペレだったが、あまりに殺気だった雰囲気に音を上げ、ついにガードマンに囲まれて遁走を余儀なくされた。

 翌25日には国立競技場で練習。非公開とされていたが、熱心なファンに押し切られ、日本サッカー協会は「有料入場」を認めた。事前告知がなかったにもかかわらず、2000人を超すファンがペレの一挙手一投足を見守った。

 そして26日の試合前も異様な雰囲気となった。試合前、白いユニホーム姿のペレがサントスのチームメートと日の丸をもって入場、ジョギングで場内を1周し始める。すると感極まったファンがスタンドから次々と飛び降り、あっという間に数百人となった。ファンはペレに殺到するとユニホームをはぎ取り、それを阻止しようとしたGKクラウジオが指を負傷するというトラブルも起きた。「場内1周」はあっという間に中止され、上半身裸のペレはロッカールームに逃げ帰った。

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