■5歳で世界記録を更新

 だが人口が1000万人を切る国からは、こうしたクラスの名声を得た選手はなかなか出てこない。ただし1000万人をわずかに割るハンガリーは、1950年代にフェレンツ・プスカシュという天才を生み出し、4年間無敗という伝説的なナショナルチームで世界に名をとどろかせた。

 では、人口550万人、トップリーグにいまもプロとアマが混在するノルウェーから、なぜハーランドのような選手が現れたのだろうか。

 アーリング・ハーランドがイングランド生まれであることはよく知られている。父アルフインゲ・ハーランドはノルウェー代表のサッカー選手で、DFあるいは守備的MFとして1993年から2003年にかけてノッティンガム・フォレスト、リーズ・ユナイテッド、マンチェスター・シティと、プレミアリーグの3クラブで活躍した。アーリングが生まれたのは2000年7月23日。父がリーズからマンチェスター・シティに移籍する直前のことで、アーリングはリーズ市生まれということになる。

 父は2003年に引退、故郷であるノルウェー南部のブリンという小さな町に戻った。ハーランドは3歳のときからここで育ち、5歳のときに地元クラブのブリンFKのジュニアチームでプレーするようになる。2006年1月、5歳半のとき、彼は立ち幅跳びで1メートル63という5歳児の世界記録を樹立していた。2019年にノルウェー紙『Dagbladet』がこう伝え、大きな話題になったが、少年のときから飛び抜けた身体能力を発揮していたようだ。

 子どものころには、サッカーだけでなく、ハンドボール、ゴルフ、陸上競技など、さまざまな競技に取り組んだというが、どの競技でも世界的なプレーヤー(アスリート)になった可能性は高い。

(2)へ続く
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