■最強クラブ決定戦の行方は…
もう3年も早く生まれていたら、僕も「70年安保闘争」の頃に催涙ガスを経験していたかもしれませんが、僕は催涙ガスを経験したのはこれが初めてでした。1978年にペルーでゼネストに遭遇した時には催涙弾の水平撃ちを受けましたが、ガス自体は経験していません。
スタジアム外で撒かれた催涙ガスが南側ゴール裏まで拡散してきたのですから、ガスはかなり稀釈されていたはずです。それでも、たしかに息苦しくなりました。やはり、スタンドにいきなり催涙弾をぶっ放すなどということは、絶対に止めたほうがいいと思います。
もっとも、ボカを警備しているアルゼンチンの警官隊は、その辺のことはよくわかっているはずですから安心です。この程度のファンの過激化などは、ボカでは日常茶飯事。暴れる方も、鎮圧する方もプロなのです。
試合は前半43分にCKからパレンシアが決めた1点を守り切って、アウェーのクルス・アスルが勝利。PK戦が行われて、なんとかボカが勝利しました。おかげで、帰りは銃撃戦も催涙ガス攻撃もなく、無事に変えることができました。