後藤健生の「蹴球放浪記」第121回「空港で走ったご褒美に高級ボールペンをもらう」の巻(1)カメルーン戦の後に待っていた「嵐」の画像
2003年、大分での試合のADカード 提供/後藤健生

 空港では、多くの人と、その人生が行き交う。サッカージャーナリスト・後藤健生も、そういう経験を多くしてきた。時には博多で、時にはドバイで…。自分を信じて、駆け抜ける。

■カメルーンといえば「大分」

 カメルーンといえば、大分と決まっていました。

 2002年の日韓ワールドカップの時、カメルーン代表がなかなか来日せずに日本中で心配していたのです。そして、ようやく来日したカメルーン代表はキャンプ地だった大分県中津江村(現、日田市)との友好を深め、中津江村は全国的に有名になったのでした。

 2003年の11月19日に日本代表がキリンチャレンジカップでカメルーンと対戦しました。会場は、当然、大分ドームでした。

 日本代表監督はジーコになっており、試合は0対0の引き分けに終わりました。

 試合の翌日、僕は福岡空港経由で東京に戻るつもりでした。当時は大分行きの安い飛行機がなかったので、大分で試合があるときはいつも福岡便を使っていたのです。なにしろ、福岡空港は地下鉄ですぐにJR博多駅に出て大分行きに乗れるので、国東半島沖の海上にある大分空港よりずっと利便性が高い空港です(当時は大分空港から市内までホーバークラフトが運航していましたね)。

 さて、帰りの飛行機は18時ちょうど発のスカイマーク12便でしたから、昼過ぎまでのんびりと大分で食事をして、午後の列車に乗ろうとしました。

 ところが、悪天候のため列車が不通になってしまったのです。強風だったようです。

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