大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第92回「カマモトといえば背番号15」(3)2度の東京五輪を越えて続く物語の画像
AJPSアワードの表彰式で、「KAMAMOTO 15」のユニホームを手に、日本ブラインドサッカー協会の人びとに囲まれる釜本美佐子さん (c)K.Ishii/AJPS

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト・大住良之による「超マニアックコラム」。今回は、なぜブラサカ黒田智成選手の背中に「15」があったのかについて。

■世界選抜への選出を辞退

 メキシコ・オリンピックの直後の11月6日に、ブラジル代表対国際サッカー連盟(FIFA)選抜という試合が組まれた。最近はこうしたチームがつくられることはほとんどないが、20世紀にはたびたび結成された。このときは、ブラジル・サッカー協会(CBD)創立50周年とワールドカップ初優勝(1958)年から10周年を祝う試合への参加である。そしてGKレフ・ヤシン(ソ連)、MFフランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ)らそうそうたるFIFA選抜の一員に、釜本が選ばれたのである。

 ちなみに、この試合には、メキシコ・オリンピックで優勝したハンガリー代表からも、DFデジョ・ノバクとMFロベルト・スチの2人が参加している。監督を務めたのはデットマール・クラマーであり、釜本をよく知る人であったこともあったが、メキシコ・オリンピックで圧倒的な得点力を示した釜本の選出に異論をはさむ者はいなかった。

 しかし釜本はFIFAからの要請に応じることができなかった。試合の当日が、日本での結婚式に当たっていたからだ。

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