■政争の具にされたW杯
言うまでもないことだが、2002年大会はFIFAワールドカップ史上初めての「共同開催」だった。日本と韓国で同じ数の試合(32試合ずつ)が実施され、開幕戦は韓国のソウルで、そして決勝戦は横浜の横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で開催された。
ともに単独開催で立候補していた。共同開催になった経緯は、あまりに煩雑なので書かない。ただ、日本を支持していた当時のFIFA会長ジョアン・アベランジェと、その地位を狙う欧州サッカー連盟(UEFA)会長レナート・ヨハンソンの「政争」の道具になった結果だったことだけを指摘しておく。
多くの日本国民にとって韓国は単なる隣国かもしれない。しかし韓国の国民にとっては1910年から35年間も続いた日本による植民地支配(韓国併合)の記憶や恨みを抜きに考えることは難しい。日本側が「過去のこと。すでに解決したこと」ととらえていても、韓国側ではまったくそうでないと考えられている事柄もある。
「ワールドカップ共同開催」は、両国にとって新しい時代の友好関係を築く大きなチャンスだった。事実、日本では「韓流ブーム」が起き、韓国でも日本文化の解禁など、大会前後には大きな「雪解け」も見られた。しかし友好関係は両国政府の事情、なかでも韓国の政権交代で簡単に壊れ、その後は「行きつ戻りつ」の状態といえる。残念ながら、日韓両国の友好関係ということに関しては「2002年のレガシー」はほとんどないと言っていい。