■2002年をともに生きた仲間
さて、トルシエ氏と23人の選手たちがピッチ上で奮闘することを中心に回った2002年ワールドカップから、ことしでちょうど20年となった。6月6日に国立競技場でいっしょにトルシエ氏のインタビューを担当したテレビ朝日の寺川俊平アナウンサーが「2002年には中学生だった」と話したことに私は小さな衝撃を受けたが、「2002年」を「同時代」として体験した人が、若くてもすでに「中年」にさしかかっていることに思い至った。
10代の若者たちにとっては、「2002年」は「歴史の教科書で読んだ」というようなものなのかもしれない。とすれば、ワールドカップ2002のまっただ中で記者生活を送り、短時間で消えていく泡のように膨大な情報や意見を流し続けていた者のひとりとして、ワールドカップ2002がその後の日本(そして韓国)に何を残したのか、「レガシー(遺産)」を整理しておくのは重要な役目かもしれない。
ただ、1人の個人に見えるものには限りがある。願わくは、同時代に2002年大会を体験した多くのジャーナリストが、それぞれに考える「ワールドカップ2002のレガシー」を書き記してほしい。若者たちは、そうした断片から、賢明にもワールドカップ2002の全体像を思い描き、そこから現在につながる「レガシー」を理解し、そして未来に語り継いでくれるのではないだろうか。