カタールでワールドカップが開かれる2022年は、日本のサッカーにとって節目の年となる。地元開催となった日韓ワールドカップから、20年を数えることになるのだ。その記念すべき大会は、日本サッカー界に何を残したのか。サッカージャーナリスト・大住良之が検証する。
■輝かしい2002年の業績
6月6日のブラジル戦に先立って、国立競技場内のラウンジで元日本代表監督フィリップ・トルシエ氏(67)への「日本サッカー殿堂」の楯授与式が行われた。2020年に「日本サッカー殿堂」入りが発表されたトルシエ氏。しかしその年の9月10日に予定されていた「掲額式」はコロナ禍で中止になり、ようやくトルシエ氏の来日がかなったこの日に、日本サッカー協会の田嶋幸三会長から手渡されたのである。
1998年夏から2002年6月まで丸4年間、年代別代表の監督を兼ねながら日本代表監督として在任したトルシエ氏は、1999年FIFA U-20ワールドカップ準優勝、2000年シドニー・オリンピック準々決勝進出、2000年アジアカップ優勝、2001年FIFAコンフェデレーションズカップ準優勝と、輝かしい成績を残したが、何といっても地元開催の2002年FIFAワールドカップでのベスト16進出という業績が掲額の大きな要素だった。