例年どおり、J2では熾烈な戦いが続く。その中で、サッカージャーナリスト・後藤健生はFC町田ゼルビアに注目する。初のJ1昇格を狙う町田の戦いぶりと、率いる指揮官、さらにJ2を変化させている外国人監督たちについて考察する。
■オシムのチームのリベロ
旧ユーゴスラビアのコソボで生まれたランコ・ポポヴィッチは、1997年からオーストリアのシュトゥルム・グラーツでプレーすることになる。そして、当時のグラーツの監督がオシムだった。
イビチャ・オシム監督に率いられたグラーツは、オーストリア・ブンデスリーガで2度優勝。UEFAチャンピオンズリーグにも出場して、レアル・マドリードやマンチェスター・ユナイテッドといったビッグクラブと攻め合いを演じてオシム監督の名声はさらに上がることとなった(2002年までグラーツで指揮を執ったオシムは、2003年からジェフユナイテッド千葉の監督となるが、その後もグラーツに居を構え、2022年5月1日に同地の自宅で帰らぬ人となった)。
当時のグラーツは、オシムのチームらしくビッグクラブを相手にもDFが次々と攻撃に参加していく攻撃的なサッカーをしていたが、そのグラーツのリベロとして攻撃に参加するプレーを担っていたのがランコ・ポポヴィッチだったのだ。そして、当時、オシムのアシスタント・コーチを務めていたのがミハイロ・ペトロヴィッチ(現、北海道コンサドーレ札幌監督)であり、オシムが日本に渡った後にペトロヴィッチはグラーツの監督に就任した。