興味深いのは、翌2013年末でコリンチャンスとの契約が切れると、たくさんのオファーを断り、世界のサッカーの潮流を知るために1年間の「研究生活」を送ることを決めたことだ。2014年ワールドカップ・ブラジル大会の試合も見たが、アーセナル(イングランド)を訪れてアーセン・ベンゲル監督と話したり、レアル・マドリード(スペイン)のカルロ・アンチェロッティと監督といった欧州の代表的な監督たちと交流をもったことで、いまのブラジル代表に通じる現代的なサッカーを学んだ。

■アギーレ以上の有力候補だったチッチ

 この時期、ブラジル代表監督就任の要請もあったが、より可能性が高かったのが日本代表監督のポジションだった。2014年ワールドカップで惨敗後、アルベルト・ザッケローニ監督の後任を探していた日本サッカー協会はチッチと接触、チッチ自身はやる気になったが、残念ながら条件面で折り合いがつかず、日本協会はメキシコ人のハビエル・アギーレと契約することになる。

 2015年、チッチはコリンチャンスと契約してピッチに戻ったが、2016年6月、コパアメリカ(大会設立百周年記念特別大会、アメリカで開催)でブラジル代表がグループ3位になって敗退すると、ブラジル協会はドゥンガ監督を解任、チッチを後任に指名した。

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